2016/07/04

<南風>躯(むくろ)は滅んでも屋根は残る

2016年7月4日  琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/hae/entry-310089.html

福島県は東に阿武隈(あぶくま)高地、西に奥羽山脈が南北に走り、浜通り、中通り、会津(あいづ)の3地域に分けられます。福島県は東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県を合わせた面積よりも大きいのです。県内最大の広さを誇る、いわき市は沖縄本島の面積を上回ります。そのいわき市に私が足繁く通う志田名(しだみょう)という集落があります。

福島第1原発から30キロ圏内に位置し、事故当時、現在も避難生活を送る飯舘村(いいだてむら)と変わらぬ放射能汚染がありながら、2011年4月22日、いわき市が安全宣言を出したため、緊急時避難準備区域からも外され、棄民状態となりました。

私が志田名を発見したのが5月16日、そこから住民をまとめ、科学的根拠をもとに国や県、市と交渉を行い、7月から希望する人たちに汚染の少ない市内へ避難が認められ、やっとの思いで住宅地および農地約45ヘクタールの表土除去による除染が認められたのが10月末のことでした。除染作業は線量が思うように下がらないため、事故から5年経過した現在も行われています。 

先日、獨協医科大学の学生たちと訪れた志田名集落の5キロほど手前に東松院というお寺があります。志田名の人々の菩提寺です。茅葺(かやぶ)き屋根の山門を葺(ふ)き替えている老人の姿が目に止まりました。その方は金澤重一(しげかず)さん(82)。中学を卒業して葺(ふ)き替え職人となり、今年で67年目だそうです。当時は金澤さんの住んでいる中通りだけでも20人程いた職人も、今では浜通りと中通りを合わせても金澤さん1人となりました。金澤さんは言います。「俺が死んでも、屋根は残る。俺の仕事はそういうもの」 

この放射能問題は、まだ5年しかたっていません。葺き替え職人のように現代の名工が消えていく運命にありますが、私は消えても、後につながる学者や医師を育てていければと願っています。
(木村真三、放射線衛生学者)

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