http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201607/20160712_63006.html
福島県南相馬市の避難指示が12日に解除された。それでも全ての住民が戻れるわけではない。中でも子育て世代は仕事や教育、今後の人生設計といった多様な問題を考慮しなければならない。帰還か移住か。それぞれの道を選んだ2家族の表情を追った。
「本音を言えば沖縄、北海道に移住したかったんですけどね」。南相馬市鹿島区の仮設住宅に住む佐藤公美子さん(38)が漏らす。来春、小高区への帰還を決めている。
元々は小高区の西部に住んでいた。周囲は居住制限区域に指定され、戻る住民はわずかだ。佐藤さんは小高区東部の中古物件を購入し、一家で移り住むことにした。地元で働く夫の意向をくんだ。
中学3年から小学2年まで3人の子どもがいる。全員が女の子。小高の空間放射線量が低減していることは理解していても「もし何十年か先に影響が出たら」と不安を拭えない。
小高区出身の子どもが移住先でいじめに遭ったという話を聞いた。幸い、3人のわが子は小高の学校が大好きだ。友人にも恵まれている。「これはこれで良かったのかも」。遠方への引っ越しを望んだ佐藤さんだが、今は帰還に前向きな気持ちになりつつある。
「行政と市民が力を出し合えば住み良い地域になるはず。私たち親世代がお手本を見せられたら、と思っています」
子育て世代の中には、住み慣れた地域を離れて既に新居を構えた人も少なくない。林崎潤市さん(45)はその一人。2014年に南相馬市原町区に家を建て、家族6人で移り住んだ。
自宅は山間部にあった。帰還を考えている住民は全員が60代以上。同世代はゼロだ。「何十年か後、誰もいなくなった地域に1人で住むことを想像してしまって…」。話し相手のいない老後には耐えられそうもなかった。
避難による混乱が続き、消防団仲間や幼なじみとの連絡が途絶えた。消息すら分からない。「元の暮らしを返してほしい。今でもそう思っています」。新天地で生活基盤を整えても、失われた地域のつながりは戻らない。
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