2016/02/02

漆黒を照らす/12 原発事故5年、福島の痛み考える 子育て、不安の中「頑張る」 /大阪


2016年2月2日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160202/ddl/k27/040/408000c

決して忘れたわけではない。でも、報道は減ったし、考えることはめっきり少なくなった−−。東日本大震災から5年になろうとしている今、私たち関西に住む者の被災地や福島第1原発事故に対する意識は、率直に言うとこんなところではないだろうか?

当然だが、福島はそうではない。原発事故による暮らしの破壊と不安は現在も進行中である。1月中旬、現地に行って痛感した。

福島県南部のいわき市から国道6号線を北上、大事故を起こした東京電力福島第1原発に近い大熊町、富岡町、双葉町を通り、浪江町を回った。いずれも町民の95%以上が今も避難中の地域だ。真新しい家も古い農家も、ガソリンスタンド、役所、食堂も人の気配は消えたままだ。携行した簡易放射線計の警告ブザーが鳴りやまない。大きな猪が車道を走る。
看板から「原子力明るい未来のエネルギー」の文句が消されていた
=福島県双葉町で、鈴木祐太氏撮影

事故を起こした原発から南に約35キロ離れたいわき市。市の公表では市街地の放射線量は大阪と大差ない。ただ山や川沿いの場所では線量が上がることがあるそうだ。市内の屋内遊び場に子供を連れて来ていたお母さんたちに話を聞いた。

荒川梓さんは2歳の娘の子育て中だ。「いわきには放射線を気にしないという人が結構いますが、私はどうしても心配になって、外より屋内で遊ばせがちです」

荒川さんは原発近くの富岡町の出身。実家は高線量の地区にある。「除染が済んだら両親は帰りたいと言っていますが難しいでしょう。家を取り壊すかどうか、秋までに町に伝えないといけないので家族は揺れています」

間もなく第3子を出産予定の松本ひろみさんは、子育てを県外でしようか悩んだという。「夫と私の両親を置いて行くのはきつい。主人の仕事もあるし、何もかも捨てて地元を離れるというのは難しいです。福島で頑張ろうと思ってます」

福島での子育てを選択した松本さんだが、やはり放射線が気になる。昨年初めて4歳の娘に県による甲状腺検診を受けさせた。「結果が出るまでドキドキだった」という。

2児を連れて来ていた別のお母さんは「行く場所もないし、(費用を)補償してくれるかも分からないから、いわきにいるしかないなという感じです。だからあんまり放射線を気にしないようにして頑張ってます。でも、子供になんかあった時はどうしてくれるのかな、という不安はあります」

母親たちの「頑張る」という言葉に胸を突かれた。放射線への憂いが解けない彼女たちの日常はまだ続く。自分にできることは何か? 福島から大阪に戻って、ずっと考えている。
<文・石丸次郎>

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