http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/02/post_13207.html
震災と原発事故から間もなく5年となる。いまだ10万人近い県民が避難生活を送っている。避難先で体調を崩して亡くなる「震災関連死」は増え続け、県のまとめによると11日現在、2016人に上っている。1年前に比べ約130人増加した。
地震や津波による直接死の1604人に比べ、412人多い。死者数全体に占める割合は52.4%と半数を超えている。
本県と同様に地震や津波の被害が大きかった宮城県は920人で死者全体の8.7%(平成27年12月31日現在)、岩手県は458人で死者全体の8.9%(1月31日現在)となっており、本県が突出して高いことが分かる。
市町村別の関連死者数は【グラフ、表】の通り。南相馬市が485人で最も多い。浪江町380人、富岡町333人、双葉町136人と続く。原発事故による避難の長期化が被災者の身体と精神に大きな負担をもたらしている現状がうかがえる。
図(1) |
■家族一緒「当たり前のことが幸せ」 二重生活に終止符 福島の松井さん 山形の3年半 心を整理
福島市野田町の松井知美さん(47)は平成27年春、山形県米沢市の借り上げ住宅と福島市の自宅を往復する二重生活に終止符を打ち、福島に戻った。東京電力福島第一原発事故後、子ども五人を連れて山形に母子避難してから3年6カ月後のことだった。
福島に戻るきっかけは、いくつかあった。心を揺さぶられたのは26年夏、高校の進学先を迷っていた長女(16)の一言だった。「福島に戻ったら日曜日は(整体院を)休みにできるんだよね? だったら福島の高校に行こうかな」
福島市野田町の松井知美さん(47)は平成27年春、山形県米沢市の借り上げ住宅と福島市の自宅を往復する二重生活に終止符を打ち、福島に戻った。東京電力福島第一原発事故後、子ども五人を連れて山形に母子避難してから3年6カ月後のことだった。
福島に戻るきっかけは、いくつかあった。心を揺さぶられたのは26年夏、高校の進学先を迷っていた長女(16)の一言だった。「福島に戻ったら日曜日は(整体院を)休みにできるんだよね? だったら福島の高校に行こうかな」
二重生活を維持するために整体師で夫の国彦さん(48)は、母子避難先の米沢に整体院の分院を開き、日、月、金曜日の週三回は国彦さんが米沢へ、残りの4日は知美さんが福島の整体院へ、互いに通った。子どもに無用な被ばくをさせないようにと選んだ母子避難だったが、直線で40キロ離れた山形と福島を行き来する暮らしに追われ、いつしか子どもたちとゆっくりと向き合う余裕すらなくなっていた。身も心も限界だった。
子どもたちの転校を考え、27年4月から福島で再出発すると決めた。一つ屋根の下に家族がそろう当たり前の暮らしに戻る区切りとして、住宅ローンを組んで家を建て替えた。
一方で、避難して良かったとも思っている。子どもたちのために避難を選択しなければ、子育ての不安で押しつぶされていたという。「山形での3年6カ月がなければ、福島には帰ってこれなかった」と知美さん。国彦さんも「心を整理するのに必要だった時間」と受け止めている。
ただ、二重生活の中で失ったものもある。知美さんの父益雄さんだ。福島の自宅にとどまり、孫たちの帰りを待ちわびていたが、再び一緒に暮らすことはかなわなかった。
益雄さんは孫たちの笑い声、走り回る足音が聞こえなくなった家で毎日、酒をあおった。夜に徘徊(はいかい)を繰り返すようになり、アルコール性の認知症と診断された。老人ホームに移って一時は症状が回復したかに見えたが、糖尿病が悪化するなどして27年11月に亡くなった。79歳だった。
益雄さんは白菜や大根などを栽培して家族に食べさせるのが趣味だった。知美さんは「原発事故がなければ(父は)生きがいを失うことなく、孫の成長を身近に感じながらもう少し長生きできたのでは」と思う時がある。国彦さんは「寂しい思いをさせてしまい申し訳なかった」と話す。
福島に戻って約11カ月。整体院で仕事をしていても、2階で友達と遊ぶ子どもたちの笑い声が聞こえてくる。一緒に夕食を作ったり、じゃれ合って遊んだり、時間にも心にもゆとりができた。「子どもの成長を間近で見ていられる。当たり前のことが幸せ」。知美さんは目を細めた。
■避難者減少 10万人下回る 県外避難4万3270人 県内では5万6449人
9万9750人の避難者(自主避難者を含む)の内訳は、県内避難者数が5万6449人、県外避難者が4万3270人、避難先不明者が31人となっている。
9万9750人の避難者(自主避難者を含む)の内訳は、県内避難者数が5万6449人、県外避難者が4万3270人、避難先不明者が31人となっている。
避難者数は平成24年6月1日調査時の16万4218人が最も多く、ピーク時に比べ、約6万4500人減少した。
ただ、避難者数は災害救助法に基づいて集計しており、仮設住宅などから災害公営住宅、住宅購入による転居も避難解消とみなされる。
県は「避難者数の減少が全て古里への帰還者数を示すものではない」とした上で、避難指示解除区域の住民や自主避難者の帰還に加えて、恒久住宅への住み替えなどが進んでいるとみている。
■県外 東京が5697人で最多
各都道府県への避難状況は【図(1)】の通り。ピーク時の平成24年3月から約1万9300人減少した。ピーク時は山形県が1万2980人と最も多かったが、約1万人減少した。現在は東京都が5697人で最多となっている。
■県内 全域避難町村8割
県内避難者数のうち、全町(村)避難している富岡、大熊、双葉、浪江、葛尾、飯舘の六町村の避難者が4万5105人と全体の約8割を占める。
六町村の主な県内の避難先は【図(2)】の通り。いわき市が六町村合わせて1万5506人と最も多く受け入れている。次いで福島市の8170人、郡山市の6665人など。
図(2)
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