2015年04月01日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/local/fukushima/news/20150331-OYTNT50419.html?from=ycont_top_txt
古里の土を踏む人は少しずつ増えている。東京電力福島第一原発事故の避難指示の解除から1日で1年を迎える田村市都路町地区東部に帰還した世帯は、市の調査では2月末時点でようやく半数を超えた。だが、放射線への不安は完全には拭いきれず、事業が再開できない人もおり、住民らの厳しい状況は続いている。
同市船引町の仮設住宅で妻や1男3女と暮らす無職坪井秀幸さん(37)は、1日に原発から20キロ圏内の実家へ移ることを決めた。帰還する子育て世代が少ない中で決断したのは、先に戻った両親が心配なためだ。「子供が遊ぶには広い家がいい」と頬を緩ませたが、「放射線への心配が払拭されたわけではない」と厳しい表情も浮かべた。
4年前、第一原発で働く予定だったが、直前に事故が発生。得意な電気工事の仕事を探しているが、条件に合う勤務先はなかなか見つからないという。
市によると、2月末時点で住民登録する113世帯342人中、帰還は58世帯146人で人数では約4割にとどまる。市は放射線への不安のほか、近隣の商業施設や病院が再開せず不便なためだと分析している。
住民の帰還が少しずつしか進まない現状に、地元の商店主は頭を悩ませている。
酒店を経営していた加藤嘉一さん(67)は、避難指示解除前の長期宿泊の段階からほぼ自宅で生活しているが、営業再開を諦める気持ちが強くなっているという。店では事故前、酒や飲料水、食品全般を扱っていたが「今は車や人の往来がほとんどなく、商売にならない」と頭を抱える。
生産者を取り巻く状況はさらに厳しい。以前は原木シイタケを栽培していた農業坪井哲蔵さん(66)は、40年近く続けたシイタケ作りを今も再開できずにいる。国の出荷制限が残っているためだ。多い年の生産量は800キロに達し、シイタケ栽培だけで生計を立てられていたが、シイタケ栽培での収入はゼロのままだ。
避難指示が解除された昨年4月、妻英子さん(59)と長男の3人で帰還した。仮設住宅に残っていた母(89)も昨秋に戻り、郡山市にいる次男も「いずれ戻る」と言っているという。
近所では戻ってくる住民も次第に増え、にぎわいを取り戻しつつあると感じているが、坪井さんは、「シイタケは生きがいみたいなもの。家族が戻ってきて古里で生活できるのはうれしいが、大事なものが欠けたままだ」とうつむいた。
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