2015/04/02

福島/避難指示解除1年、住民の半数以上「帰還」都路


2015年4月2日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASH30575CH30UGTB00S.html

東京電力福島第一原発事故で国が出した避難指示が昨年4月1日に初めて解除された福島県田村市都路(みやこじ)地区。帰還状況を朝日新聞が調べたところ、半数以上がすでに帰還したか今月末までの帰還を予定していることがわかった。昨年4月末と比べると、世帯数で2倍、人数で3倍にのぼる。

避難指示が解除された全113世帯342人の自宅を3月20~28日に戸別訪問し、帰還したか帰還準備のために一時帰宅した住民らを取材した。その結果、63世帯189人が今月末までの帰還を決断していた。昨年4月末までに帰還したと答えたのは26世帯62人。帰還時期を覚えていない人など3世帯6人を除くと、1年間で世帯数は2・3倍、人数は3・0倍に増えた。

住民が戻る時期は①帰還準備のための長期宿泊が始まった2013年8月(14世帯31人)、②避難指示が解除された14年4月(9世帯24人)、③今年3~4月(12世帯53人)に集中していた。3月には避難者が東電から受け取る慰謝料(1人当たり月10万円)が打ち切られた。また、3月末までに帰還すれば慰謝料に上乗せして賠償(1人当たり90万円)を受け取れる早期帰還者賠償もある。

朝日新聞は帰還を決めた住民にアンケートを実施し、58世帯96人から回答を得た。帰還理由を16項目から三つまで選ぶ設問には、65人が「住み慣れた自宅で暮らしたい」、34人が地震や避難で傷んだ「自宅の修繕が終わった」、21人が「自宅の放射線量が下がった」と回答。早期帰還者賠償を挙げた人も6人いた。

田村市の冨塚宥暻(ゆうけい)市長は「解除から1年というのは一つの区切り。市も帰還者のための施策をこの1年で集中的に行ってきた。この春以降は、帰還者の伸びは期待できないだろう」との見方を示した。

国の原子力災害現地対策本部の職員は「帰還者は予想より多い。早期帰還者賠償も後押しになった可能性がある。一方で原発との距離やインフラの状況など個々の避難指示区域で事情が異なるため、今後、解除される区域で同様に帰還するかは分からない」と話す。

国や自治体に求める施策を12項目から三つまで選んでもらったところ、最多の51人が「第一原発の安定」、42人が「医療・介護施設の充実」を挙げた。事故前、住民の多くは、第一原発のある大熊町の診療所や介護施設に通っていた。これらは今も線量が高い帰還困難区域にあり、診療を再開していない。


 〈避難指示区域〉 福島第一原発事故で国が住民に避難を指示し、立ち入りが制限されている福島県内の区域。同原発から半径20キロ圏内と、圏外で線量が高い地域に設定された。昨年4月に田村市都路地区、昨年10月に川内村東部の避難指示が解除された。次いで楢葉町や南相馬市小高区、葛尾村などが早期解除を目指す。

■親子3代戻り笑顔 「暮らす自信ない」と断念する人も

「見て、飛行機!」「え、どこどこ?」。新年度を目前に控えた3月30日午後、都路地区の旧避難指示区域にある静かな山あいの民家に子どもの声が響いた。約20キロ西の仮設住宅に避難していた坪井秀幸さん(37)が妻(39)、長女瀬奈さん(10)ら4人の子と自宅で帰還準備をしていた。「やっぱり子どもは仮設よりも伸び伸びしているね」とほほえむ。

引っ越し作業は1日に完了。事故前は原発作業員だった秀幸さんは、この春から除染作業に就く。一昨年11月に長期宿泊で戻った父の幸一さん(66)は「老夫婦の暮らしより、にぎやかでいい」と3世代がそろったことを喜んだ。

自宅周辺の放射線量は下がったが、周囲の山林は除染されていない。子どもの被曝(ひばく)が心配で、解除後も秀幸さんは帰還をためらってきた。仮設近くの仮校舎で授業をしていた市立古道小学校が昨春、元の校舎で再開。「友達と一緒がいい」と瀬奈さんが通い続けることを望んだため、秀幸さんは昨夏に帰還を決めた。だが、迷いは消えない。「瀬奈が中学に入る2年後にもう一度、どこで暮らすのかを真剣に考えたい」

坪井栄正(えいまさ)さん(75)は、一昨年8月に戻った当時の集落の暗さを忘れられない。「この1年で近所もだいぶ電気がつき始めた」。向かいの2軒にも先月、明かりがともった。事故前には林業を手がけていたが、放射性物質で汚染された山林の木材は出荷再開の見通しが立たない。それでも「先祖から受け継いだ山を荒れさせるわけにはいかない」と帰還を決め、毎日、杉を間伐する。

春からは東日本大震災後、初めて稲作を再開する。「やっぱり田んぼは水ためて青くしねえと。ホタルが飛ぶくらいに」。ふるさとの姿が少しずつ戻ることを願う。

解除以降、国や市は様々な施策で帰還を促してきた。年明けにはコンビニを誘致し、携帯電話の基地局を設置した。だが、汚染水流出など第一原発のトラブルは住民の気持ちをかき乱す。夫婦で戻った90代の女性は「また事故があったら逃げられない。廃炉が安定して進んでくれないと安心できない」と漏らす。

山間部で一人暮らしをしていた斎藤トシ子さん(80)は帰還を断念した。一時帰宅した際、強い揺れに襲われた震災を思い出して震えが止まらなくなった。「ふるさとで山菜を採りたいけど、怖い思いをした家で暮らす自信がない。すぐ近くに住人がいる仮設のほうが安心できる」

帰還で家族と離ればなれになった人もいる。吉田清作さん(66)は本格的な稲作再開に向けて今月、妻、母と3人で戻る。だが、息子夫婦と幼い孫は避難先の田村市中心部に建てた家に残った。「市中心部は通勤にも子育てにも便利。家まで建てた息子らが山間部に戻る理由はない」。震災直前、自宅の敷地内に新築した息子夫婦の離れは、空き家となったままだ。


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