http://mainichi.jp/articles/20151206/ddm/041/040/126000c
東京電力福島第1原発事故の長期避難者を対象とした「復興公営住宅」の整備が進む中、「みなし仮設住宅」から移った人たちには強い不満を漏らす人も少なくない。みなし仮設は民間アパートなどを利用するため長期居住が可能にもかかわらず、あと1年半足らずで打ち切られるので転居せざるを得なかったからだ。「仮設からの退去を進める」こと以外、復興公営住宅の役割は見えにくいのが現状だ。【日野行介】
5階建ての4棟の新築団地が並ぶ福島県郡山市の復興公営住宅。「恒久的な住宅」とされるその1室に、10月上旬に入居した西山公久さん(78)と妻ミイ子さん(65)は「今も『避難』という意識は変わらない」と述べ、笑顔を見せなかった。
2人は全域に避難指示が出ている富岡町の住民だ。原発事故の翌日、町が用意したバスに乗り、郡山市内の避難所に入った。その後、同市内で建設された仮設住宅に申し込んだが抽選に2回外れ、自力で探した近くのアパートに移った。みなし仮設として家賃はかからず、駅までの本数が多いバス停にも近く、便利なのが気に入っていた。それでも昨秋に復興公営住宅を申し込んだのは、みなし仮設が打ち切られる見通し(方針決定は今年6月)だったからだ。
富岡町の避難指示解除準備区域にある自宅は地震で傷んだため取り壊した。ミイ子さんは「ここ(郡山)より(避難指示解除後に)富岡に復興公営住宅を建ててほしかった。解除されるまでみなし仮設で良かったのに」とこぼす。
復興公営住宅建設のため創設された交付金の呼称は「コミュニティ復活交付金」。以前の地域社会(コミュニティー)維持を掲げ、同じ市町村からの長期避難者が集まって住む形を取るとされる。でも、2人は「まだ知り合いを見かけないね」。このため周囲に友人はおらず、公久さんは「ここにいても何もやることがないんだ」と漏らす。ミイ子さんは「『仮住まい』と『ついのすみか』のどちらでもない感じ。でももう年だし、おそらく最後までここに住むしかないんだろうね」とさみしそうに話した。
娘が2人いるシングルマザーの女性(48)は3月、いわき市内にある5階建ての復興公営住宅に入居した。原発事故後に富岡町の自宅から埼玉県に一時避難後、みなし仮設として提供されたいわき市内のアパートに移った。復興公営住宅に申し込んだ理由は、やはり「みなし仮設が打ち切りになるから」だ。なぜ、同じ市内なのに仮設提供を打ち切ってまで転居させるのか、いまだ理解に苦しむ。
長女は専門学校で1人暮らし、次女も高校の寮住まいで帰宅はほぼ土日に限られ、女性は今、平日の大半を1人で過ごす。「これからどうするか、先のことを決められない。どこに行っても落ち着かない」と明かした。
西山夫妻が入居する福島県郡山市で新築された復興公営住宅。手前は集会所。 2017年度までに県内で計4890戸を建設する計画で、これまで約1800億円が支出された |
復興公営住宅
従来の自然災害での「災害公営住宅」と法的には同じ。自然災害では大半がプレハブなど簡易な仮設住宅に入り、数年後に堅固な災害公営住宅に移る必要性がある。だが、今回の避難戸数の7割超は民間アパートなど長期居住できる「みなし仮設」で、住み続けられれば復興公営住宅の必要性は乏しいとの指摘がある。みなし仮設は2017年3月末で打ち切られ、復興公営住宅の入居対象は帰還困難区域などからの長期避難者だけ。家賃は当面、東京電力の賠償で補填(ほてん)される。長期避難者以外は自宅に戻るか自力で住宅を確保するしかない。
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