2016/02/03

<検証福島の学校>つなぎ留めいつまで


2016年02月03日 河北新報
http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201602/20160203_61010.html

◎震災5年へ(下)遠のく古里
子どもたちには、帰れない町はいつまで「古里」なのか。時間の経過とともに風化する記憶。古里はかすむばかりなのだろうか。

東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県双葉町。いわき市の仮設住宅広場で1月9、10日に開かれた町の新春恒例「ダルマ市」の初日、一つのテントの前に人垣ができた。

「いま双葉町はどうなっているんだろうと思い、役場に聞きに行きました」
いわき市にある仮設校舎に通う双葉町の小学5、6年生5人が「ふるさと学習」の成果を発表した。

5人は役場で町の96%が帰還困難区域と知ってがっかりしたが、いわきで事業を再開した人がいるとも教えられ、会いに出掛けた。「いわきで頑張っている元気な人の話を聞き、私たちも頑張ろうと思いました」
ダルマ市で「ふるさと学習」の成果を発表する双葉町の子どもたち=1月9日、いわき市

<薄れゆく記憶>
双葉郡の小中学校が取り組む「ふるさと学習」で、子どもたちは町の歴史や伝統芸能を学ぶ。双葉町の小学校は総合学習の半分、35時間を充てている。
「町のことを教えるのが、町立学校の大きな役割」と双葉北小の渡辺由起子校長。同時に、避難から5年近くがたち、その難しさも感じている。双葉町には、子どもたちが避難後、町に一歩も入れず、いつ戻れるかも分からないという重い現実がある。
 
昨年度の6年生は仮設住宅での交流会で、お年寄りと町の思い出を重ねることもできたが、いまの5年生以下は町の校舎に通ったこともない。古里の記憶が薄れ、記憶すらない子どもたち。いずれは、避難後に生まれ、町の空気を吸ったことのない子も入学する。

「古里とは本来、心の中のがっちりとしたもの。記憶にない古里は子どもたちの中でどんな存在になるのだろうか」。渡辺校長は葛藤し、模索する。
「戊辰戦争で敗れ、古里を追われた会津の人たちは遠く離れた斗南藩で会津人の教育をし、プライドを残した。現代の私たちは、どんなことをどう伝えていけばいいのだろう」

<参加児童減る>
避難先の自治体の学校に通う児童生徒には、古里はさらに遠くなりつつある。
休校が続く浪江町の幾世橋(きよはし)小は2012年度から毎年、原発事故当時在籍していた児童らを引き合わせる「再会の集い」を開いてきた。初年度に約60人だった参加者は次第に減少。14年度は10人も集まらず、昨年11月の開催が最後となった。
参加児童が減ったのは、避難先の学校になじんだことの裏返しと言えるかもしれない。鈴木孝彦校長は「いつまでも古里に寄り添ってほしい気持ちはあるものの、どこかでけじめをつけなければならなかった」と複雑な思いを打ち明ける。
浪江町の小中9校のうち、4校が再会の集いを開いてきたが、3校が本年度までに終了した。町の畠山熙一郎教育長は「子どもたちをどこまで古里につなぎ留めていいのか、学校としても考える時期に来ている」と自問する。

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