原発を巡って別居、ついに離婚を迫られた! 夫からの申し出にどう応えるべきか
2015年8月4日 東洋経済
http://toyokeizai.net/articles/-/79131
【読者からの相談】
私は東日本大震災当時、当時2歳の娘と夫、私の3人家族で、郡山市に住んでいました。近所に夫の実家があり、私は義父母とも仲良く、日々の暮らしに何の問題もありませんでした。そして3.11に遭いました。
チェルノブイリのその後の惨事に関するニュースも詳しく見ていたためか、私は人一倍、放射能汚染を心配し、その環境で子どもを育てることを恐れました。私の住む地域は強制避難地域ではありませんでしたが、私たち母子だけで、関西に自主避難しました。
同じ地域に住む者でも、行政の発表や独自の判断で安全を確信して避難しなかった人や、避難したくとも諸事情で避難できなかった人、私のようにほぼパニックになった人、冷静に判断して避難した人など、その対応は分かれました。私は夫婦で話し合って決めたことでしたが、その後、夫や義父母からは、早く帰って来るようにと、何度も催促を受けていました。
けれど私は避難生活を続けました。同じ市内でも、放射線量が事故前と比べ、数十倍から百倍という数値が出たという調査結果が出るなど、不安材料が次々に聞こえてきました。それに私は行政や東電から出る情報も、なかなか信用できないのです。
ところで夫たちと私には、放射能に対する受け止め方が違います。二次災害の危険性は子どもにより大きく、ほかの子どもさんの健康がセーフだからといって、将来、わが子もセーフだと、安心できるものではありません。しかし夫たちは、私が大袈裟過ぎると取り合ってくれません。それに加えて夫の給料で二重生活は、とても負担が大きいことです。
そこへ私たちのような自主避難者に補償されていた住居手当が、2年後に打ち切られるという決定がなされそうなのです。夫からは、この機会に帰ってこないと離婚すると宣告されました。もう少し私が納得できるまで、今の生活を継続したいのですが、それには離婚に応じるしかないでしょうか。 福田(仮名)
【ミセス・パンプキンからの回答】
福田様、
2020年の東京オリンピックにかけられる費用の数字が、故郷の復興がままならない東日本大震災の被災者にはどのように映っているか、ときどき考えます。オリンピックが大成功に終わり、日本全体がさらに元気づき、被災者の皆様も、しばし勇気を得られる祭典になることを祈るばかりです。
そんな折も折に、自主避難者に補償されていた住宅手当が、打ち切られようとしているそうですね。もともと金銭問題以外にも自主避難者には、国が指定した避難指定区域の人たちにはない、特有の問題を内包していました。福田家のように、家族で放射能汚染に対する考え方が違うとか、職場や老父母の関係、または経済的事情などで、家族がバラバラになった家庭が少なくなかったことです。
子供を守りたい自主避難者の家庭が岐路に
震災直後から、母子で一時避難したものの、「戻れ、戻らない」で夫婦で揉めたり、中には夫に愛情がないから戻って来ないのだろうという話に飛んで暴力を振るわれたり、離婚に発展した家族も出始めたと耳にしました。それに地域内でも、「避難せず、みんな一緒に頑張ろうね」と話し合ったり、一時避難して帰って来た人の立場が、地域で微妙になったという話を聞いたりしますと、問題の本質はそこではないだろうと胸が痛みます。
純粋に、放射能から子どもを将来に渡って守ってやりたいと思う母親の想いが、皆で共有されない原因はどこにあるのでしょう。
母親が子供を守りたいという防衛本能は、人間のどのような本能的感情よりも強いものですし、いくら政府や周囲に安全だと言われても不安なものです。
子どもの被爆を少しでも減らしたいと思うのは、どの親にとっても共通の願いです。ところが3.11の場合、国や東電の発表は、信用できないものが多かったことが、後になるほど明るみになったので、これで安心という線引きができない人が依然としておられても、不思議ではありません。
線引きと言えば、行政が線を引いた向こう側が危険区域で、線一本のこちら側が安全と言われても、風向きも心配ですし、それだけで納得できない人がおられるのも理解できます。毎日食べるコメは全袋検査が行われるから安全と言われても、また、セシウムを吸収しやすい食べ物でも、よほど毎日大量に食べない限り安全といわれても、それすら心配せずにすむ地域で子どもを育てたいと考える母心は、責められるものではありません。
実は私は40年前に、母親を子宮ガンで亡くしました。今ほど緩和ケアが発達していなかった時代でしたので、母は1年間、壮絶な痛みに苦しんで果てました。痛みが始まると、母の表現では「ナイフが体中を走る痛み」に襲われるのだそうで、その苦しむ姿を私たちに見せたくない母は、私たちが見舞うことすら拒絶したのでした。
骸骨のように痩せて歪んだ顔になった母を見ていますので、私はガンに対する恐怖が人一倍強いです。それでガンになりやすい食品などと聞くと人一倍敏感で、子どもたちからそれらを遠ざけるのに必死でした。ガンにかかる原因がひとつでない以上、それだけで万全ではありませんが、母親の注意で避けられるものは、絶対避けてやるという気構えで育てました。
ですから3.11のとき、このような仮定は不謹慎かもしれませんが、もしも私が自主避難地域に住んでいたとしたら、私も同じように避難した組だったと思います。石垣島に一人息子さんと移住した俵万智さんを、非難する声もあったそうですが、彼女は「子を連れて 西へ西へと逃げていく 愚かな母と言うならば言え」と詠みました。
公害病もそうですが、何十年後には発病するかもわからない不安をもって子どもを育てるよりは、気になる人が避難生活を続けるのは、大袈裟でもなんでもないと考えます。私も「笑わば笑え、言うならば言え」という心境になったと思います。福田様の「誰が何と言おうと、子どもの安全が最優先」というお気持ちは、とてもよく理解できます。
放射能や癌への恐れは人によって違う
お気持ちは十分理解はできますが、本件は離婚か否かという「1か0の問題」ではなく、その中間の選択肢がいくつかあると思います。
まず夫君の気持も理解すべきです。今までは何だかんだと言われても、避難生活に協力してくださったのですね。妻子と別れて福島で暮らし働いている彼にとっても、大変な時期でした。職業の関係で彼が福島を離れることはできず、その彼が、妻子であるあなた方と、早く一緒に暮らしたいと思っておられるのです。今戻って来ないなら離婚すると言われたのも、一種の愛情表現と取れなくもありません。
また、家族全員で住む選択肢も可能な状況かもしれません。あの震災では津波被害で、いまだに遺体とさえ対面できない方々がおられます。それに比べればといえば語弊がありますが、あなたの家庭問題は、考えようによってはまだまだ不幸中の幸いの部類です。来年はお嬢様が小学校へ入られる年代ですね。福島は、危険区域が解除された地域もあるように、産業も人々の生活も、復興が進んでいるところは進んでいるそうです。甲状腺ガンなどの子どもさんの健康チェックを怠らず、家族全員の生活を選ぶのもひとつの選択です。
別の選択肢としては、住宅費はあなたが稼ぎ、あと数年でも、今の避難生活を続けたいと、話し合いで提案してみるか、山村留学のようなシステムで、子どもさんだけを残し、あなただけ帰るなど、いろいろ合った方法を、探ってみてはいかがですか。
そして根本的には、ご夫婦で、健康に対する根源的な問題から丁寧に話し合われることが大切だと思います。人によってガンや放射能への恐怖は大きく異なり、それがさまざまな誤解や意見対立を生んでいるように思います。
昔、乳ガンで乳房切除しか助かる方法はないと言われた女優さんが、「乳房は女優の命」と、その切除を拒否しました。命より大切な乳房があるのかと、私は仰天しましたが、実際、その女優さんは命を落としました。その後も、ガンに対するおそれが私ほどない人は、世にいっぱいいることを知りました。
福田様ご夫婦も、安全だと言われている地域での目に見えない放射能が、将来子どもに及ぼす影響について、おそれや考え方が、そもそも違うのだと思います。そこを埋める率直で真摯な対話が、福田さまのご家族にとってもまた、原発をめぐる社会的な対立に関しても重要なのだと思います。
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