2016/04/25

チェルノブイリ30年 福島支援に教訓生かせ

2015年4月25日 中国新聞
http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=241930&comment_sub_id=0&category_id=142

旧ソ連・ウクライナの、チェルノブイリ原発事故から、明日で30年となる。今なお広い地域が居住不能で人々は放射能による健康被害に苦しめられている。原始力が決して夢のエネルギーではないことを、人類に強烈に印象付けたといえよう。

とりわけ日本人の胸には深く突き刺さるはずだ。1986年の「4・26」から25年後、福島第1原発事故が起きた。事故の深刻度を示す国際評価尺度(INES)は、ともに最悪のレベル7。事故原因は異なるが「人災」が繰り返されたからだ。

チェルノブイリは福島を映す「鏡」だ、と言う人もいる。ただ、いたずらに福島の被災者の不安や恐怖をあおることがあってはならない。被曝(ひばく)と発がんの関係は長期的な視点が要る。汚染地域の放射線量がどう推移するかも注視すべきだろう。

参考にしたいのは国家がどう補償したかである。

事故5年後の91年、旧ソ連体制下で制定されたチェルノブイリ法に目を向けたい。まず「被災地」「被災者」の定義である。原則として追加被曝線量が年1ミリシーベルトを越す地域は補償対象とした。事故後に生まれた子どもについても、遺伝的影響を一定に考慮している。

国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を参考にしたらしい。放射線の長期的な影響が定かではない以上、最小限に抑えようとする姿勢は評価したい。

法が補償する対象も多岐にわたる。給料に上乗せする補償金に始まり、公共交通機関や定期健診も無料。さらに非汚染食品の配給や大学の優先入学制度も盛り込まれた。ソ連が崩壊後も被害が出たウクライナ、ベラルーシ、ロシアに引き継がれる。社会構造の違いから、福島の補償内容と単純に比較できないが、かなり手厚い内容と映る。

むろん影の部分もある。補償法制定が事故から5年後となったのは旧ソ連政府が被害を秘匿してきたせいだ。また補償関連の予算配分も満額ではない。財政難を反映し、最近は一割台のあうい順にとどまる。とはいえ曲がりなりにも長期にわたって補償が続いた意味は小さくない。

翻って福島の事故に対する日本政府の対応はどうか。わずか5年で避難指示区域の解除や自主避難者への支援打ち切りの話題が持ち上がっている。避難基準の被曝線量にしても「年20ミリシーベルト以下なら問題がない」と言わんばかりだ。このままでは被災者支援の将来は心もとない。

福島の事故も東京電力による賠償やボランティアの支援だけでは数十年にわたる支援は難しい。日本も国家の責任を見つめ直す時期ではないか。ウクライナ政府が事故10年後の96年に定めた憲法で、チェルノブイリ事故を「地球規模の惨事」として位置付け、被害克服を「国家の責務」と明記したのは重い。

チェルノブイリ法を参考にする動きはある。日本でも民主党政権時代の2012年、自主避難者の支援策も盛り込んだ「子ども・被災者支援法」が成立した。しかし政権交代や与野党対立もあって、実効性のある施策は伴わないままだ。

被災者の側に寄り添う政治を求めたい。特に被曝線量の基準は厳しく設定すべきだ。原発事故の被災者とどう向き合うかには、国際社会の目も注がれていることを忘れてはならない。

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