2016/04/25

チェルノブイリを訪れて 客員論説委員・千野境子

2016年4月25日 産経新聞
http://www.sankei.com/premium/news/160425/prm1604250017-n1.html

チェルノブイリをいつか訪れたいと思ってきた。あの1986年4月26日のニュースを北欧発の外電が世界に初めて伝えた日の夜、私は外信部のデスクだった。

朝刊最終版ギリギリの時間で、「ソ連で原発事故?」「数千人死亡か」などの一報を半信半疑で出稿したことを覚えている。格納容器のない裸の黒鉛減速軽水冷却炉は、大量の放射能はじめ放射性物質を放出して被害を拡大・広域化させ、ソ連崩壊へのダメ押しをしたのだった。

ウクライナ政府は5年前から観光客の受け入れを認め、昨年は内外から約1万5千人が訪れたという。私が訪ねた3月下旬も十数人の欧米人グループの姿があった。

時が完全に止まった過去と、淡々と時を刻む今が併存する、チェルノブイリは世界でやはり特別の空間である。

原発から2・5キロ、従業員と家族5万人が暮らしたプリピャチは、アパートからホテル、レストラン、劇場、ソ連時代の社会主義ポスターまで何もかもそのままだ。小さな空き地の遊園地にある観覧車やブランコを眺めていたら、子供たちの歓声が聞こえてきそうな錯覚にさえとらわれた。

しかし案内役のミーシャ君が線量計を遊園地の地面に近づけると、途端に警音が鳴り始め、8マイクロシーベルトを記録した。彼は「事故の3年後に生まれ、事故は知らない。でも原発に興味があるし、毎日新しい人に出会えるこの仕事が好き」と言い、「放射線量は大丈夫?」との問いにも「管理しているから問題ないよ」と屈託がなかった。

原発作業員同様に15日働き、15日休む。4日働き3日休むパターンもある。日頃は約100キロ南の首都キエフに住み、原発の勉強もしている。だからか、どんな質問にも丁寧に答え、「福島はどうなっていますか」と日本の状況にも関心を示すなど仕事熱心で真面目な若者だった。

廃虚が「動物たちの天国」(ミーシャ君)と化す一方、爆発した4号機の近くでは新シェルターの建設がつづく。長さ162メートル、幅257メートル、高さ108メートル、重量3万トンのシェルターは圧倒的な存在感で見る者に迫ってくる。年内にはレールで移動させ、老朽化した石棺ごと4号機を覆う予定だ。

それはゴールではない。石棺を解体し、溶け落ちた核燃料を取り出し保管するなどの、長期にわたる未知で困難な作業の始まりにすぎない。しかしチェルノブイリの現在はそこに集約され、やがてその先に開かれる未来の帰趨(きすう)をも握っている。

昼休みを終えたのか、交代が来たのか、時おり細かな雪が舞う中、若い女性も交じる作業員の列が、普通の工場に向かうのと変わりなく原発へと歩いていった。この光景はあと何年つづくのだろうか。眺めていたら畏敬に近い思いが湧いてきた。


チェルノブイリには被害を受けた全市町村を網羅する立て札が集まる林や、天使の像、原発を起点に隣国ベラルーシまで、位置を体感できる地上地図など、事故を後世に伝えるさまざまな記念碑がある。

中でも、原発事故とは知らされず、シャツ一枚で燃える4号機に最初に駆け付け、消火活動に当たって亡くなった消防士6人の像は生々しい。『チェルノブイリの祈り』で知られ、昨年ノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家、アレクシエービッチ氏も、悲惨にして荘厳な最期を遂げた彼らのうちの一人の消防士と妻について受賞記念講演で語っている。

消防署を背景に立つその碑は事故10周年に建てられた。直後にモスクワの病院へ運ばれた彼らが職場である消防署に再び戻ることはなかった。ホースで懸命に消火にあたる6人の像には「世界を破滅から救った人々」との献辞があった。 

客員論説委員・千野境子(ちの けいこ)

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