2016/04/24

「チェルノブイリ基金」25周年 医療支援派遣101回 きょう松本で報告会/長野


2016年4月24日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160424/ddl/k20/040/015000c  

苦しむ子供ら救い続ける

チェルノブイリ原発事故(1986年)の放射線障害に苦しむ子供たちを救おうと、松本市で発足した認定NPO法人「日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)」(鎌田実理事長)が今年、25周年を迎えた。被災地ベラルーシへの医療支援派遣などは101回を数える。同市で24日、鎌田理事長が今月、訪問したベラルーシの現状などを報告する。【松澤康】

発足からの25年を振り返る布山みな子さん(中央)ら
日本チェルノブイリ連帯基金の事務局スタッフ=松本市で

JCFは91年1月、被災者の医療支援を目的に発足した。原発のあるウクライナに隣接するベラルーシは経済的にも深刻で、十分な治療を受けられずにいる人が多く、事故との関連が疑われる病気で多くの子供が犠牲になっていた。

同市の寺の住職が窮状を知ったことをきっかけに、鎌田さんや信州大医学部の小児科医らが間もなく現地を訪れ、調査や医療支援に乗り出した。以後、100回を超す訪問団が、子供の甲状腺調査や、現地の医師への調査・治療法指導を続けてきた。

96年にJCF事務局スタッフとなり、機関誌を編集する布山みな子さんは「初めは原発も医療も知らなかったが、活動を支えてくれる会員のみなさんにつなげる仕事ができた。あっという間だった」と振り返る。現在、会員は約50人、賛助会員は130人。活動はチェルノブイリ事故だけにとどまらす、劣化ウラン弾が使用されたイラクでも医療支援を進めてきた。

しかし、鎌田さんやスタッフが、思いも寄らぬことが2011年3月に起きた。東京電力福島第1原発の事故だった。布山さんは「まさか日本でこんなことが起きるとは。忸怩(じくじ)たる思いだった」と悔やむ。ベラルーシの人々から「そちらは大丈夫?」と言われた時は、うれしさよりも切なかったという。

図らずも新たな支援活動が福島で始まった。環境放射線測定やその指導、子供たちの健診、食品の放射線測定。また、仮説住宅の避難者の健康相談や栄養指導にも携わる。14日に発生した熊本地震の被災地周辺には、川内原発(鹿児島県薩摩川内市)や伊方原発(愛媛県伊方町)がある。布山さんは「安心できない」と憂慮する。

24日の報告会は午後1時半から、松本市中央1の市中央公民館(Mウイング)で。鎌田さんが今月8日から8日間、滞在したベラルーシの現状を説明する。申し込み不要、無料。問い合わせはJCF事務局(0263・46・4218)へ。

■ことば
チェルノブイリ原発事故
旧ソ連ウクライナ北部のチェルノブイリ原発で1986年4月26日未明、試験運転中の4号機の原子炉の出力が急上昇し、爆発。世界保健機関(WHO)は2006年、犠牲者9000人と推計。避難・移住者は40万人超とされる。事故の深刻度を示す国際評価尺度(INES)では福島第1原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」。

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