2016/04/27

チェルノブイリ30年 過酷な現実直視し脱原発進め

2016年4月27日 愛媛新聞 
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201604273075.html

世界に衝撃を与えた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故から30年がたった。今なお放射能汚染は広範囲に及び、史上最悪の原子力災害は収束の気配もない。

日本政府は事故を機に原発の安全性を厳しく問い直すべきだった。しかし、原子炉の構造の違いから「日本では起こり得ない」として、原発を推進した。東京電力は技術力の高さを過信して安全対策を怠り、福島第1原発事故を招くことになった。チェルノブイリ事故の教訓を生かせなかった「失敗」を今改めて重く受け止め、エネルギー政策の見直しに取り組まなければならない。

チェルノブイリが示したのはひとたび原発事故が起きれば、住民の平穏な暮らしが丸ごと奪われるという事実だ。30年をかけても核燃料の処理方法は確立できず、廃炉作業は全く進んでいない。除染もされず、人命や環境への影響は今後も続く。

事故が起きたのは、1986年4月26日。試験運転中の4号機が爆発し、大量の放射性物質が放出され、欧州各国に広がった。消火活動に当たった数十人が急性放射線障害で死亡。ソ連政府は30キロ圏内を立ち入り禁止にし、33万人を移住させた。今も原発周辺には立ち入り制限が敷かれている。

健康被害は住民を苦しめ続けている。国連は甲状腺がんなどによる死者は4千~9千人と推定するが、約20万人とみる専門家もいる。事故の9年後、隣国ベラルーシでは小児甲状腺がんの患者が激増したと報告されている。長期被ばくによる影響は警戒が必要で、丁寧な健康調査が欠かせない。

被災者への補償は行き詰まりをみせる。ソ連崩壊で補償を引き継いだウクライナ政府は「国が補償を続ける」とうたったチェルノブイリ法を制定し、支援に乗り出したが、財政難で現在の補償額は当初の2割以下にまで減少。生活に窮し、居住制限区域内にある自宅へと戻る人もおり、新たな被ばくの危険性は否めない。国際社会を含めた支援体制の再構築を求めたい。

4号機を覆ったコンクリート製「石棺」の老朽化は著しく、放射能が漏れ出す恐れが高まっている。石棺ごと覆う新たなシェルターを建設中だが、資金難で完成は遅れている。封印後、原子炉を数十年かけて解体する計画だ。全ての処理を終わらせるには100年以上かかる見通しだが、これまでのような場当たり的な対応を繰り返していては、実現は疑わしい。

チェルノブイリの現状は、福島の今後の苦難と重なって見える。被災者は故郷を失い、健康不安は尽きない。汚染水は増え続け、廃炉作業を阻む。溶け落ちた核燃料を取り出すという難題も待ち受けている。チェルノブイリと福島の事故により、人間が原発を完全にコントロールできないというのは、もはや明白だ。政府は現実を真摯しんしに受け止め、脱原発へと早急にかじを切るべきだ。

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