2016/04/15

秋田で保養場所 福島の人を待つ柴田房子さん(66) /秋田


2016年4月15日 毎日新聞

「いつでもおいで」言い続け

大切なのは、誰も来なくたって待ち続けること−−。東京電力福島第1原発事故にさらされた福島県の人らに保養場所を提供する「1000人で支える子ども保養プロジェクト」に取り組む柴田房子さん(66)はそう信じている。利用者は多くない。それでも、心待ちにしてくれる人は確かにいる。「地道に取り組めば、震災や原発事故の風化を防げる」。秋田にいながらできることを模索し続ける。

プロジェクトは毎年7〜10月、原発事故で放射線量が高くなった地域の人々を受け入れ、リラックスして過ごしてもらう取り組みだ。福島第1原発から約320キロ離れた大館市で、2012年に女性グループが始めた。

宿泊費は無料。利用者は期間中、自由に寝泊まりができる。食事は自炊で、地元で取れた米や野菜を分けてもらえることもある。

利用するのは主に福島からの親子連れだ。日ごろは放射線の影響を心配して暮らす子供たちが、屋外でのびのびと遊んでくれると「励みになる。私たちも楽しい」。流しそうめんや花火大会といった行事も企画する。

きっかけは11年7月に発覚した、国の基準を上回る放射性物質を含む焼却灰が首都圏から大館と小坂町に運び込まれた問題だ。

便利さを享受するだけだったそれまでを反省し、焼却灰の運び込みに「ノー」を叫ぶ市民団体に加わった。一方で、福島の人たちと少しでも手を携えたい、という思いもあった。市民団体のメンバーと相談し、自然あふれる秋田で子供たちを受け入れることにした。

まずは拠点として、木造2階建ての空き家を借りた。NPOの助成金でトイレや床、ボイラーを改修した。施設は「シェアハウスおおだて すくすくの木」と名付けた。

「シェアハウスおおだて すくすくの木」の交流会。子供たちは大喜びだ
=大館市で2014年8月5日

訪れる人たちの負担を少なくするため、光熱費や家賃はフリーマーケットの売り上げや募金を充てた。プロジェクトを「1000人で支える」と銘打ったのは、大勢に関わってほしかったからだ。14年には拠点を市内の別の民家に移した。

利用者は1シーズン5、6組程度。これまでに延べ約80人が訪れた。福島の人らの保養や移住を支援する団体は各地にあり、年間で60人訪れるところもあるという。「あまり人が来ないのに続ける意味があるのか」「もうやめてもよいのでは」。メンバーからそんな声が出たこともある。

それでも、柴田さんは意には介さない。保養・移住の支援団体が集まる会合で福島に行くと、現地で子育てに励む親たちから「自分たちのことを考えてくれる人がまだいてくれてうれしい」と言われるからだ。利用者からは「自由に外で遊び回れた」「悩みを聞いてもらい救われた」といった手紙が寄せられる。

「どこまで役に立てているのかも、いつまで続けられるかも分からない。でも、できるだけ長く『いつでもおいで』と言い続けたい」と柴田さん。プロジェクトは今年で5シーズン目。看板は、まだ降ろしていない。【松本紫帆】=随時掲載

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