2016/04/16

【チェルノブイリ30年と福島5年(下)】 「福島では同じことは起こらない」 被曝の影響、いまだ確定せず

2016年4月16日 産経新聞
http://www.sankei.com/world/news/160416/wor1604160035-n1.html

淡いピンク色の壁に囲まれた入院室。患者の元消防士、イワシェンコ・ワッセルさん(61)は、かみしめるように話し始めた。

30年前のチェルノブイリ原発事故の3日後、現場へ向かった。避難者を誘導したほか「被曝(ひばく)の影響も分からないまま、原発の状況を確認しに行った」という。

異常が出始めたのは3年後。血圧が急に下がって気を失うことが多くなった。血管の病気と診断され、3回の手術を受けるなど入院生活を余儀なくされた。

「どれくらい放射線を浴びたか分からない。でも後悔はしていない。他人のために働けたのだから」

ウクライナの首都キエフにある国立放射線医学研究センターにはワッセルさんのような被曝患者専用の施設がある。政府は2006年、「4000人が甲状腺がんになり、うち9人が死亡した」と発表した。

だが、延べ6万人の患者の診察に関わったというビクトール・スシコ副センター長(55)は「福島では同じことは起こらない」と断言する。理由として、日本は甲状腺がんを予防する伝統的な食事を取ってきたこと、チェルノブイリでは避難が遅れ、大量の内部被曝があったことなどを挙げた。

入院している被曝患者のイワシェンコ・ワッセルさん
=14日、キエフ(天野健作撮影)

チェルノブイリ原発近くに、「レッド・フォレスト(赤い森)」と呼ばれる地域がある。原発から放出された高濃度のプルーム(放射性雲)が通過して、松の葉が枯れたためだ。

その近くで事故後、被曝による動植物の影響を調べる国立放射線生態学センターが設けられた。

「2つの頭を持った動物は見たことがないよ」。事故直後から調査を続ける研究者のレオニド・ボグダン氏は笑った。

原発内部にいるマウスを捕獲したり、シカ、ウサギなど約20種類の動物の骨や筋肉に残る放射性物質を調べた。それでも30年間、異常を持った動物は見られなかったという。だが植物では樹幹が太くなったり、葉が長すぎたりする木が見つかっている。ボグダン氏は「被曝の影響かまだ確定的なことは言えない」と首を振った。

チェルノブイリ原発事故で放出された放射性物質(ヨウ素換算)は520万テラベクレル(テラは1兆)。福島第1原発は90万テラベクレルで、およそ6分の1だ。福島で今後何が起こるか。被曝の影響は先が見通せないところに怖さがある。

福島では事故直後に急性の被曝で亡くなった人はいない。しかし、チェルノブイリでは直後に消防士ら約30人が死亡した。大量の放射線を一度に浴びたからだ。

キエフにあるチェルノブイリ博物館では、彼らの写真が大切に飾られていた。事故で闘った人は、「リクビダートル(事故収束作業員)」と呼ばれ、その栄誉がたたえられている。

事故直後から16年間、現場で作業したシェルビナ・ブラディールさん(78)は「原発で働くことは怖くなかった。私のやってきたことを誇りに思う。亡くなった仲間もいるし、現場では多くのことを学び、強く記憶に残る」と胸に手を置いた。

福島の事故でも最悪の事態に直面したときに、命を張って現場に残った人がいる。「フクシマ・フィフティーズ(福島の50人)」と呼ばれ、外国メディアからは英雄視された。だが、国内からはまともに顕彰されたことはない。

今も10万人近い住民が避難生活を送っていることもその理由だろう。しかしやがて、収束に携わった作業員や警察官、消防士らを正式に顕彰する日が来るかもしれない。そのときは福島の復興が前に進んだ証拠といえる。(チェルノブイリ 天野健作、写真も)


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