http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016042502000118.html
旧ソ連(現ウクライナ)でチェルノブイリ原発事故が起きてから二十六日で三十年になる。多数の死者を出し、事故で飛び散った核のちりは北欧やドイツまで広がった。その教訓は今も生きている。
格納容器がない旧ソ連独特の原子炉だったため、核のちりが大量に放出された。秘密主義が避難を遅らせ、健康被害を拡大させた。専門家は当時、日本では起きないような事故と説明した。
福島第一原発事故では、4号機の燃料プールの水がなくなれば、首都圏まで避難の必要があると考えられた。燃料プールには「格納容器」はない。日本の原発も同じように危険だったのだ。政府や東京電力の情報隠しもあった。無用の被ばくをした住民もいる。危険性も秘密主義も、政治体制ではなく、原子力開発の宿命のようなものだった。
チェルノブイリは多くの教訓を残した。
一つは健康被害。主に牛乳を飲むことで放射性ヨウ素が子どもの甲状腺に取り込まれて甲状腺がんが多発した。福島では牛乳の摂取禁止などを早期に実施し、内部被ばくを抑えることができた。
風評被害もあった。昨年、ノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチさんの作品「チェルノブイリの祈り」に、こんな小話が紹介されている。
ウクライナのおばさんが市場で大きなりんごを売っている。「りんごはいかが、チェルノブイリのりんごだよ」。だれかがおばさんに教える。「おばさん、チェルノブイリっていっちゃだめだよ、だれも買っちゃくれないよ」「とんでもない、売れるんだよ。姑(しゅうとめ)や上司にって買う人がいるんだよ」
事故から十年後に書かれたものだが、風評被害は今も続く。福島県の関係者はチェルノブイリでの教育や農業などを調べ、風評被害対策に取り組んでいる。
事故が起きれば故郷を失うという、厳しい教訓もある。汚染されて無住になった町や村の名前を記した「墓標」が並ぶ公園がある。福島県でも町村合併の話がささやかれている。
日本も福島原発事故の経験を世界に伝える役目を負っている。放射線に関する医学や事故処理の工学だけでなく、健康や心理に関する幅広い住民調査、農林水産業など産業への影響、動植物といった自然環境調査、さらには文学をはじめとする人文・社会科学。政府は地元任せにせず、研究を後押しし、後世へ残す責任がある。
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