2016/04/26

(核といのちを考える チェルノブイリ30年:下)健康影響「事故全体で見る」

2016年4月26日 朝日新聞
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12328451.html?rm=150

「医者が言うとおりの薬を飲むと、量が多くて、朝食がいらないくらいだ」。ベラルーシの首都ミンスクの集会所で会ったミハイル・コワリョフさん(75)は、冗談めかして語った。

体調は「病気の花束」だという。きっかけは26日で30年を迎えるチェルノブイリ原発事故だった。事故後1年目に白内障で視力が悪化。脳卒中も患い、内臓の多くに病気がある。治療は受けているが、対症療法でしかない。

事故直後の1986年5~6月、地質学や水文学などの専門家として、線量の高い立ち入り禁止ゾーンで放射性物質の流出を防ぐ土木工事を指揮した。

「私たちの大失敗は、放射能のことを知らなさすぎたことだ」

■分かれる見解
事故で放出された放射性物質は、東京電力福島第一原発事故の約6倍といわれる520万テラベクレル。国境を越えて汚染が広がり、作業員や住民から、がんや心臓病、死亡率の増加など「異常」の訴えが出た。

国際機関から民間の医師まで多数の報告書が発表されたが、被曝(ひばく)の影響を広くみるものから、ごく一部とするものまで、見解は大きく分かれている。論争が続く大きな理由は、個人個人の被曝線量が正確にわからないためだ。影響として一致しているのは、子どもの甲状腺がんの多発だけ。事故直後に汚染された牛乳を飲んだことなどによる。

30年がたち、放射能を気にせずに暮らす人も多い。

立ち入り禁止ゾーンに近いベラルーシ南部のブラギン。汚染度が高く、強制移住地域も抱えるが、人が住むエリアは線量が下がってきた。日常生活で受ける外部被曝の量を生徒らが自ら調べる国際共同研究で、ブラギンの高校生は福島市やフランスなどの高校生とほぼ同じだった。ウラジーミル・コンツェボイさん(17)は「ここはもう普通の場所です」と話す。

避難者や汚染地域に住む人へは、今も定期的な健康診断や無料の医療などの支援がある。かぜの後、微熱が続く娘(11)を国立病院に連れて来た、ベラルーシの汚染地域出身のスベトラーナ・ジュダノワさん(39)は「放射能の影響? 特に不安はありません。むしろ、ちゃんとした医療が受けられてありがたいです」。

微熱が続き母親のスベトラーナさんと国立病院を訪れたアナスタシアさん
=3月31日、ベラルーシ・ゴメリ州 

■研究なお続く
新たな発見もある。ウクライナや米国などのチームは2013年、高線量を浴びた事故処理作業員にある種の白血病のリスクが有意に高いことを確認。約11万人のデータを86~06年の間に集め、ようやく見えてきた。広島や長崎の被爆者になかったタイプだった。

「30年たっても答えられないことが多くある。あと30年は研究しないと。次に事故が起こらない保証はない」。ウクライナ医科学アカデミー会員のミコラ・トロンコ教授(72)は言う。

ウクライナ国立放射線医学研究センターのドミトリ・バジーカ所長(63)は、放射能だけにこだわらず、原発事故全体の影響を見ることも重要だと説く。

追跡調査を続けている心臓病の場合、最大の危険因子はストレスで、たばこ、遺伝的要因と続き、被曝は4番目だ。ただ、被曝したという不安はストレスを招く。被曝の影響を他の要因と切り離せない面もある。

事故後10年ほどは、作業員らがアルコール依存症になったり、自殺したりする問題が深刻になった。移住による生活の変化や被曝による将来不安も一因とみられている。

「『原発事故』は『放射能』よりももっと大きな問題です。様々な要因を、ある意味コンプレックス(事故影響の複合体)として見ないといけないのです」(キエフ=小坪遊)


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