2016/04/19

(核の神話:22)原発事故後繰り返される「安全」主張

2016年4月19日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJ3T3JTFJ3TPTIL01H.html

旧ソ連・ウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故から4月26日で30年。1980年代から現地取材や救援活動を続けるフォトジャーナリストの広河隆一さん(72)の目には、福島原発事故後の日本の現状がチェルノブイリで目撃してきたことと重なる。それは放射線の「権威」らによる「危険な安全キャンペーン」だという。なぜ、それが繰り返されるのか――。

■原発事故みつめるフォトジャーナリスト・広河隆一さん
今年1月にチェルノブイリ原発近くのプリピャチ市を訪れると、昔からの救援仲間がどんどん亡くなっていました。まちの平均年齢が事故当時27歳ぐらいだったから、今、50代後半にあたる。その年代の人たちがどんどん亡くなっているんですね。一緒に救援活動をしてきた友人たちも亡くなっている。事故の影響はせいぜい5年、10年だろうと思っていましたから、30年たっても放射能の被曝(ひばく)の影響がこんなに続くというのは予想外でした。

福島はチェルノブイリの放射能の10分の1だから大丈夫とか言われていますけど、放射能は「まだら」に落ちますから、チェルノブイリと同じくらいのレベルのところもある。平均して病気が現れるわけでもない。風の流れとか、放射能を浴びた人の体力とか、個人差がものすごくあります。同じようにチェルノブイリで放射能を浴びた7人の事故処理作業者グループのうち2人だけが生き残っているという事例もあるんですね。なぜその2人だけが生き残っているのかは分からない。だったら、悪い方を基準にして対策をたてるのが鉄則です。

そういう考え方をすると「復興が遅れる」とか言いますけど、危ないものは危ない。安全なものは安全と認める。その間に「グレーゾーン」がある。このグレーゾーンに危険だという証拠が見つからないから安全だと断定してしまうのは危険です。HIV血液製剤の問題で、製薬会社や当時の厚生省は危険が見つかっていないものは安全だという立場だったんですね。その間に大勢の人が感染したり死んでしまったりしました。患者側からすれば、グレーゾーンというのは安全が確認されていない危険なものだった。放射能の問題でも同じような考え方でいかないと、まずいんじゃないかと思います。

年間20ミリシーベルトまでは大丈夫だとか、それをさらに50ミリにしようとかいう話は、ある程度の年齢の人間とか関連事業に携わる者にとってはいいかもしれないけど、妊婦や子どもがそこにいていいのかという問題とは全く別の話です。60歳、70歳の男の人とは危険度が全然違うわけですよね。子どもがそこに戻れなかったら親も戻りにくいから、子どもにとっても一緒に戻って安全ということにするというのは大間違い。

原発被害を受けたベラルーシで非常事態省の大臣も務めたケニックさんが福島について不思議がっています。「自分たちはチェルノブイリ事故の時、旧ソ連の崩壊と重なって、ものすごい貧乏で大変だったけど、人間を危ないところから避難させた」と。年間5ミリシーベルト以上の所は立ち入り禁止にする方針を立てたのです。1から5ミリの間に住む人は逃げる権利を持つから、政府はその人々が避難したら新生活を助けなきゃいけないということになった。ところが、福島では20ミリまでOKっていう方針になった、学校もそうだっていう話をしたら、ケニックさんはびっくりしていました。「日本みたいなお金がある国がどうして、子どもをまず助けるっていう方針をとらないのか」と。

一方、チェルノブイリと福島で共通しているのは、原発事故が起きたあとに「大丈夫、安全だ」というキャンペーンを張る人たちがいたことです。実は、チェルノブイリで安全宣伝をやっていたのと同じ系列の人たちが福島でもやっている。当時も今も「放射能が怖いと思うから病気になる。放射能恐怖症だ」とかいうのは、ICRP(国際放射線防護委員会)とかIAEA(国際原子力機関)とかの関係者なんですよ。

同時に、フランス発祥で、原発事故被災者の気持ちの面での問題解決をうたう「エートス」という活動をする人たちが福島に入っている。チェルノブイリ事故後のベラルーシでそれを実践したICRPのナンバー2のジャック・ロシャール副会長が福島に来て、「安全」路線を指導している。それが成功しているかどうかはわからないですが。ベラルーシでは失敗した。上から言われたことをすぐ信じる国民ではないですから。日本では「グレーゾーン」も安全だという人たちがいて、原発推進派の意図がそれを後押ししている。

広河隆一さん=東京都世田谷区、田井中雅人撮影

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かつて、IAEAのチェルノブイリ調査団長を務めたのは故・重松逸造氏(元・放射線影響研究所理事長)でした。彼は現地住民らに「心配しすぎだ。放射能恐怖症で病気になる」と言い、放射能と健康被害との因果関係についての結論を引き延ばした。

チェルノブイリ事故後の1990年から91年にかけ、IAEAの国際諮問委員会は重松氏をリーダーにして世界中の学者を送り込んだ。当時、ぼくも現地にいましたけど、「(原爆被爆地の)広島の人がリーダーになってやってくれるなら、被害者のことをちゃんとわかっているはずだ」という期待がすごかった。それで、現地の医師が調査団の人たちを小児甲状腺がんの子どもたちに会わせて細胞診の結果も見せ、手術のあとの検査の結果も見せた。ところが、甲状腺の結節はなかった、重篤な病気が子どもたちに現れる兆しはない、といった発表に現地のお医者さんたちはものすごく反発して、がっかりしました。世界中からの支援などが、ぐっと減った。甲状腺の病気は早いうちに見つけたら深刻な状態にならないと向こうでは言われていました。甲状腺がんの発見が遅れると、いろんなところに転移してしまっている例が多いからです。

しかし、IAEAやWHO(世界保健機関)は病気の「多発」を認めない。今の福島も同じですが、福島ではもう多発を打ち消すことが難しくなってきた。疫学の関係者が異論を唱えている。それでも絶対に放射能のせいだとは認めない。事故由来説は認めない。チェルノブイリでも反対し続けて「ありえない」と時間稼ぎをしたわけです。事故から10年後の1996年になってようやく認めました。

チェルノブイリの時は地元の市民がまず疑った。さらに、臨床医たちが疑っていた。彼らはIAEAの間違いを正さなきゃいけないと、自分たちで調べてNature誌に論文を発表した。スイスから専門家を呼んで、一緒に子どもたちを調べて、別々に研究発表していく。それらが同じ結果だったという報告を同じページに発表したのです。WHOの息があまりかかっていない、甲状腺の権威とされる人物が調べた内容と、地元のお医者さんたちが調べたことが一致した。こうして、多発が否定できなくなっていった。

重松氏はチェルノブイリ事故の前から、日本の疫学の権威として水俣病とチッソの工場排水の因果関係を否定していました。水俣の問題と福島の問題は結びついていると私は思う。日本の医学界と政界、企業との癒着。日本はそういう体質になっている。彼はABCC(原爆傷害調査委員会、現・放射線影響研究所)の元理事長でした。いまの福島の健康管理もその系譜を継いでいるといえます。

環境省の会議で福島の小児甲状腺がんが「多発しているのではないか」と疑う人がいても、ほとんどの委員は、甲状腺がんの原発事故起因説は認めません。

福島県民健康調査検討委員会には良心的な人たちもいますが、もう一歩踏み出してほしい。医師は人間の健康を守るためにいるわけです。権威とかお金とかではなくて、彼らは医師である前に人間であるはずです。

恐ろしい「ピラミッド構造」のせいでしょう。原子力産業にとって都合のいい構造です。



チェルノブイリ事故の時も、モスクワの医学界の権威たちは、チェルノブイリ原発から3キロのプリピャチの市民らが避難することに最後まで反対した。権威は原子力産業を守り、子どもたちを守らなかった。福島も同じじゃないですか。その結果、IAEAやICRPが時間をかけて福島に根をおろしていった。これじゃいけないんだって声をあげて抵抗した福島の医師がいたでしょうか。

「子どもたちを実験材料にしちゃいけない。今、一番必要なのは子どもたちの被曝(ひばく)を続けることじゃなく、すぐに放射能の汚染地から移動させること」。ウクライナの放射線医学センターのタルコ医師の言葉です。どんな病気になるかは人によって違う。だけど、放射能が病気を増やすことは分かっている。いろんな病気の原因になることも経験で分かっている。「権威」筋は原発事故で起こる病気は甲状腺がんと急性放射線障害しか認めていない。しかし、放射能は染色体などに作用して遺伝子を傷つけてしまうから、いろんな病気の原因になります。だったら放射能があるような場所から逃げなきゃいけない。

そういう非常事態なのに、一般人の被曝限度を年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに上げてしまう。それに抵抗して委員を辞任する人がいても、その通り進めてしまう。チェルノブイリでもそうでしたが、基準値を上げてしまえば、それまで危険だった場所が1日で安全になってしまう。そうすると、対策予算が削れるわけですからね。日本も、そういうお金の論理で動いているわけです。

日本に必要なのは復興庁じゃなかった。非常事態省が必要なんです、今でも。非常事態だから20ミリまでOKだと言って、そんなところに子どもまで住まわせるってこと自体が間違っている。子どもや妊婦は絶対にだめですよ。そういう場所全部をOKにしようとするから、(避難指示が)明けたけれども帰ってこないということになる。「安全だ」と言っている人は、自分の娘さんやお孫さんを連れて、そういうところに住むべきかどうか、考えてみたらいい。日本のやり方は、男中心です。カイワレ大根にしろ水にしろ、男が食べて飲んで、安全でしょって言う。だけど、女性の命の尺度は、自分の子どもや孫にそれを食べさせたり飲ませたりできるかです。

ウクライナでは、事故当時の閣僚会議のトップが女性で、子どもたちを逃がすという判断をしました。日本の環境省トップも今、女性になっていますけど、恥ずかしくて外国にはしゃべれないことばっかり言っています。

ぼくは、チェルノブイリの子どもたちに日本から薬を届ける救援活動もしてきました。知っているだけでも、ものすごい大勢の子どもたちが、甲状腺がんにかかって精神的に追い詰められた。しかも、薬を毎日飲まなきゃいけない。ウクライナの医師が言うには、甲状腺がんの手術をするかどうかっていう判断には、大きさだけじゃなくて、がん発症の場所の問題もある。神経やリンパ節の近くにあったら、早く手術しなきゃいけない。小さくても、すぐ切らなきゃいけないものもある。




福島が日本の他の地域と変わらない、多発じゃないと言うんだったら、福島以外でもそれだけの甲状腺がんの子がいるっていうことじゃないですか。だったら大変なことだから日本中で検査しなきゃいけない。いや、ストレスを与えるから検査しないって言っていますが、手術しなきゃ声が出なくなるとか、転移してしまうとかっていう危険の前では、何を言ってんだってことになる。言っていることがちぐはぐで、つじつまが合わない。

ウクライナでお医者さんたちは「IAEAは間違った」とはっきりと言っています。でも、最近はそう言いません。IAEAとICRPを批判して早期発見を訴えていた医者は働き口を失った。そのあとで、IAEAやICRPがポストを用意するわけですね。かつて福島事故後の対応について「どうして安定ヨウ素剤を子どもたちに飲ませなかったんだ」と批判していた医者が、今年1月に会ったら批判しなくなっていた。

事故直後の福島に、ぼくらが安定ヨウ素剤を持って行き、住民に渡すと「危険をあおるな」とバッシングされる。しかし、実はそういう「安全」をあおっている人間たちのほうが「危険」をあおっていることになる。ぼくは沖縄で保養施設の運営にかかわっていますが、交流会では福島から子どもを連れてきたお母さんたちが泣き出します。福島県では子どもの体の不安とか、親戚がくれた食べ物への不安を口にしたら家族の問題になる。学校や自治体、地域社会からも「なぜ保養なんかに行きたいんだ。福島はそんなに汚染されているのか」と怒られる。そういうことが胸にあふれてきて泣き出す。そんな社会をつくっているんです。すべて安全だと言う人間だけがもてはやされる。心配な人たちは疲れ果ててしまいますよ。

子どもの心のケアについては、日本で震災後の心理学の専門家に言わせると、PTSDのP(Post)っていうのは、放射能ではありえないっていう。ずっと「ON GOING」、いつまでも進行中の出来事だから、過去のこととして見つめることができない。

チェルノブイリ事故当時に生まれたり、子どもだったりした人たちにインタビューすると、生きてきたあらゆる時代に不安と闘わなくてはいけなかった。差別だけじゃなくて、トラウマがどんどん膨らんでいくわけですよね。自分がだれかを好きになる、結婚する、子どもを産む。そういう段階で、放射能を浴びてしまったという不安がどんどん膨らんでくる。赤ちゃんを産んでも、本当に健康に育ち続けるかどうか、きりがなく不安が続く。「チェルノブイリ不妊症」というのもある。赤ちゃんは宿るんだけど、ちゃんと出産できない。いくら過去のことをしゃべってはき出しても振り払えない、オンゴーイングの現在進行形が続くのです。

福島で「安全、安全」と言っている人たちに、こういう問題をどう伝えたらいいのだろうか。

ただ、チェルノブイリでは「権威」を疑った市民や医者がいた。日本ではどうか。そうでなければ、子どもたちにとっては最悪です。疑った人間がつまはじきにされるようなことは、向こうでは当初はなかった。全部、大丈夫だってことにして、子どもたちをそこに放り込んでしまうのは、取り返しのつかないことにつながると思うのです。

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核と人類取材センター・田井中雅人
たいなか・まさと 中東アフリカ総局(カイロ)、国際報道部デスク、米ハーバード大客員研究員(フルブライト・ジャーナリスト)などを経て、核と人類取材センター記者。

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