2016年5月20日 NEWSポストセブン
http://news.biglobe.ne.jp/international/0520/sgk_160520_0364092160.html
チェルノブイリ原子力発電所事故から30年が経過した。20年以上にわたりベラルーシの放射能汚染地帯への医療支援を続けてきた鎌田實医師が、今年4月、ベラルーシを訪れたときに感じた現実を直視する覚悟について、レポートする。
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1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所が爆発事故を起こした。大量の放射性物質がウクライナやベラルーシを汚染し、世界中に拡散した。ぼくが代表を務める日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)は、ベラルーシの高汚染地域の医療支援のため、100回以上医師団を現地に送ってきた。
ベラルーシでは、子どもを守るため、甲状腺検診と保養を行ない続けてきた。甲状腺検診は今でこそベラルーシ全体では行なわれていないが、ゴメリなどの高汚染地域では今も継続されている。
保養では、1回24日間を年2回、国内のサナトリウムやヨーロッパへ行く。費用は無料。子どもたちに、放射能を避け、安全なものを食べ、のびのびと生活してもらうのが狙いだ。当時子どもだった30、40歳代に話を聞くと、ドイツへ行った、イタリアへ行ったという体験談とともに、「保養のおかげで精神的な不安がとれた」と話す人が多かった。
驚くのは、今も保養が行なわれていることだ。年1回になったが、少なくとも今後5年間は、保養を続けていく計画だという。
日本では原発事故から5年経った今、すでに少しずつ風化が始まっているような印象がある。保養は最初の1、2年、活発に行なわれていたが、最近は子どもたちが忙しいという理由で減ってきている。「保養」という言葉を使うと、人が集まらない現状もあるようだ。
また、ホールボディカウンター(体内の放射性物質を測定する装置)で内部被ばくを測定する人も少なくなっている。心のどこかに、つらいことは見たくないという思いがあり、それが現実に蓋をしてしまっているように思う。
しかし、原発事故後を生きていくぼくたちは、もう見ないふりはできない。むしろ、現実を直視し、「見えない放射能」を見ようとする努力が必要なのだ。
ミンスク国立医科大学放射線医学部長のアレキサンドリア・ストラジョフ教授は、福島の現状も見ている。「日本の除染のほうが、ベラルーシの除染よりきめが細かい」と言う一方、20キロ圏内でも、年間20ミリシーベルト以下なら、帰還許可が出始めていることに対して、異を唱える。
「年間20ミリシーベルトは異常に高い。原発労働者や医師など特別な作業に当たる人以外の一般の人が、20ミリシーベルトというのは高すぎる。5ミリシーベルト以上のところで生活すべきではない。目標は1ミリシーベルト以下だ」と、ストラジョフ教授は強調した。
ベラルーシでは、年間5ミリシーベルト以上の地域は強制移住地域にしてきた。1〜5ミリシーベルトの間は移住を希望すれば安全な地域に家をもらえる。それでも、移住を拒否し、住み慣れた町に残る人がいた。
その人たちは、外部被ばくのリスクが高い。その代わり、内部被ばくを可能な限り低くするため、食糧の放射線測定を徹底し、ホールボディカウンターで検査もしてきた。最後に、日本の人たちにメッセージをお願いした。
「検診、放射能の見える化、保養をすること。そして、できるだけのことをしたら不安をもたないことが大事だ」
原発事故を起こしたら後世まで影響は続く。30年かけてここまで来たベラルーシは、これから先もやるべきことを続けていくだろう。現実を直視するその覚悟は、ぼくたち日本人も学ぶべきだと思う。
チェルノブイリと福島で人生が変わる悲劇や絶望をたくさん見てきた。世界中でこれ以上、原発事故を起こさせてはいけない。
●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『「イスラム国」よ』『死を受けとめる練習』。
※週刊ポスト2016年5月27日号
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