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2017年3月末で災害救助法に基づく原発事故「自主避難者」への住宅の無償提供支援が打ち切られる方針が示されていることに、避難者や支援する人たちが抗議の声を上げている。
5月25日夕刻、東京・新宿駅西口では原発事故避難者の救済を求める署名活動が行われ、避難者らが福島県による方針の撤回や受け入れ先である東京都への支援継続を訴えた。
福島県は「地域の除染やインフラの復興が進んでいること」などを理由に、福島市や郡山市、いわき市など避難指示区域以外からのいわゆる「自主避難者」(区域外避難者)に対する仮設住宅や無償での公営住宅の提供を来年3月末で終了する方針だ。これに伴い、約1万2600世帯(約3万人)が、今まで住んでいた避難先の住宅からの立ち退きや家賃の負担を迫られる。
「放射能で汚染された自宅には戻れない」
自主避難者の中には放射線被ばくから身を守るために着の身着のままで避難してきた母子だけの世帯も多く、住宅支援の打ち切りが生活の困窮や子どもの就学環境の激変を招くことに危機感を強めている。
5月25日、自主避難者らが新宿駅西口で街頭署名活動を行った。 左の女性は松本徳子さん |
大学の非常勤教員・鴨下祐也さん(47歳)は、放射線による被ばくを避けるために、福島県いわき市に自宅を残したまま、現在は築年数が経過した都内の旧公務員住宅で妻および2人の子どもと避難生活を送っている。
鴨下さんは、「放射能で汚染されたままの自宅に帰るという選択肢はない。支援を打ち切られても今の住宅に住み続ける以外に手だてはない」と言い切る。
無償住宅支援の継続を求める鴨下祐也さん |
熊本美彌子さん(73歳)は、田舎暮らしにあこがれて移り住んだ福島県田村市の自宅を後にして東京に逃れてきた。現在は都内の「みなし仮設住宅」(民間賃貸住宅)での一人暮らし。「現在も放射線量が高い。有機農業もできないところには、戻りたくても戻れない」と語る。
福島県は今年1月、住宅無償支援の打ち切り対象となる約1万2600世帯のうち、借り上げ住宅で暮らす9944世帯を対象にした「住まいに関する意向調査」を実施した。同調査の中間とりまとめ(3月25日現在)によれば、回答した6091世帯(回収率61.3%)のうち、約7割に当たる4285世帯が、「17年4月以降の住宅が決まっていない」と答えている。中でも福島県外に避難している世帯では、回答した3186世帯のうち2501世帯(78.5%)が「決まっていない」にマルを付けた。
福島県では生活再建に向けた新たな施策として、民間賃貸住宅家賃の一部補助などを打ち出しているが、金額も所得に応じて1カ月当たり最大3万円、2年目で最大2万円と少ないうえ2年で終了することもあり、「支援策とは到底呼べない内容だ」と前出の鴨下さんは指摘する。
東京都は「支援終了は福島県の判断」
このように打ち切り後の住まいの見通しが立たない家庭が多いことを踏まえ、福島県は避難者の多い全国10都県と連携して、「住宅が決まっていない」と答えた世帯を対象とした戸別訪問活動を5月中旬からスタートさせた。東京都では5月17日から職員が福島県の担当者とともに戸別訪問や都営住宅団地の集会所での個別面談を開始。6月末まで続ける方針だ。
しかし、こうした訪問調査について、鴨下さんが代表を務める「ひなん生活をまもる会」では「事実上の追い出しを狙ったもの」とみなし、「訪問に応じる必要はない」と呼び掛けている。
都の担当課である住宅施策専門課によれば、「今回の支援終了決定は福島県の判断によるもの。来年4月以降も避難先の都営住宅に住み続けたいのであれば、原則として都営住宅の入居募集に申し込んでいただきたい。災害救助法に基づいて都が借り上げている民間賃貸住宅の場合も3月末で所有者との賃貸契約が終了するため、避難者が所有者と直接話をしたうえで契約を結んでいただかないといけない」という。
そうしない場合は「期限が来た後は形のうえでは不法占拠になる」といい、「そうならないように避難者の皆様に個々の事情をうかがい、アドバイスをしている」(同課)。
もっとも、都営住宅の入居はきわめて狭き門だ。15年11月の都営住宅(一般募集)の抽選倍率は平均で26.2倍。障害者や高齢者、一人親であれば、避難者も含めて当選率で5~7倍の優遇があるものの、「落ちる可能性のほうが高い」(前出の熊本さん)。
神奈川県川崎市の民間アパートで高校3年生の二女と避難生活を送る松本徳子さん(54歳)の携帯電話には「来年3月末で住宅支援が終了するがどうしますか」との連絡が最近、福島県の担当者からあった。「私だけでは判断できない」という松本さんは、「体調も思わしくなく、今は仕事もない。住宅支援を打ち切られると生活が成り立たなくなる」と語る。
避難指示区域以外の地域からの避難であるため、自主避難者は「自己都合で避難している」と誤解されることが少なくない。だが、一人一人の事情は想像を超えるものであり、原発事故被害の深刻さを改めて認識せざるをえない。
「今すぐ自宅に戻って暮らすことはできない」
前出の松本さんの場合は、「二女の鼻血や下痢が続いたことが避難を決意した直接の理由。もしそれがなかったら、郡山の自宅にとどまっていたと思う」と話す。
渡辺加代さん(40歳)は、数年後に取り壊しが予定されている山形県米沢市内の雇用促進住宅で3人の子どもと避難生活を続けている。避難元の福島市の自宅周辺では、事故直後に市民グループに測ってもらったところ、毎時1~2マイクロシーベルトの高い空間線量が計測された。自宅内でも、事故前の10倍にも相当する毎時0.5マイクロシーベルトもあったという。「子どもが鼻血を出し、私もかゆみがひどくなり、このまま住み続けることはできないと決意した」(渡辺さん)。
現在も自宅の庭には除染した土が埋まっており、除染後も元の地区の中学校の敷地からは高い数値の放射性物質が検出されたという。そうしたこともあり、「今すぐ自宅に戻って暮らすことはできない」と渡辺さんは考えている。
全国の自治体の中には、自主避難者に配慮して来年4月以降、独自の支援策を打ち出した都道府県も現われてきた。埼玉県は4月の県営住宅の募集の際に、自主避難者向けの専門枠10戸を用意し、うち4戸で申し込みがあった。今後も要望を踏まえて、「100戸程度に枠を増やしていきたい」(県住宅課)という。
鳥取県では、来年4月から19年3月末までの3年にわたって、県営住宅や職員住宅を家賃全額免除のうえで原発事故の自主避難者を含む東日本大震災からの避難者に幅広く提供する。しかし、こうした支援実施は一部の自治体にとどまっている。
森松明希子さん(左端)は、国と東電を提訴した |
郡山氏から大阪市内に避難している森松明希子さん(42歳)は、現在、小学校3年生の長男、保育園児の長女と3人暮らし。郡山市内の賃貸マンションに住む夫(46歳)とは原発事故後、5年にわたって離ればなれの生活を余儀なくされている。
自宅が地震被害で住めなくなった森松さんは原発事故直後、夫が勤務する病院内で当時3歳の長男、5カ月の長女と避難生活をした。そのとき、テレビを通じて東京の金町浄水場の水道水から放射性ヨウ素が検出されたとのニュースを知り、衝撃を受けた。
「当時、放射性物質が含まれているとは知らずに、原発からはるかに近い郡山で水道水を飲んでいたし、娘には母乳を飲ませていた。避難するまで2カ月にわたって被ばくを強いられていた」と森松さんは語る。
脅かされる「避難の権利」
「なぜ福島に戻らないのか理解できない」「過剰反応ではないか」――。多くの自主避難者は二重生活の過酷さのみならず、心ない差別や偏見にもさらされている。「自主避難者は風評被害を助長する存在だ」と罵倒する者もいる。
だが、「被ばくは人権問題であり、人の命や健康にかかわるもの」と森松さんは確信している。そして、夫および2人の子どもとともに、国および東京電力を相手に損害賠償請求訴訟を提起したのも、命や健康という基本的人権を守るためだ。
放射線被ばくから身を守る「避難の権利」は、日本国憲法に記された「すべての国民が恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存することを保障された基本的人権である」と、森松さんは「『脱被ばく』を考える」と題した「『子ども脱被ばく裁判』の会」会報への寄稿文で記している。そして、避難の権利は、原発事故後に与野党全議員の賛成によって成立した「子ども・被災者支援法」でも明記されている。
にもかかわらず自主避難者への支援は手薄なままだ。それどころか住宅支援打ち切りにより、避難者の人権が脅かされている。
(岡田広行)
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