2016年4月6日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160406/ddm/041/040/072000c
政府の原子力災害現地対策本部(本部長=高木陽介・副経済産業相)は5日、東京電力福島第1原発事故により全村避難が続く福島県葛尾(かつらお)村で、帰還困難区域を除く避難指示を6月12日に解除する方針を明らかにした。現地対策本部は10日に村と合同で住民説明会を開いて村民の意見を集約し、解除時期を詰める。村は受け入れる考えで、解除されれば全域避難した自治体では同県楢葉町に続き2例目。【土江洋範、曽根田和久】
葛尾村の避難指示区域 |
現地対策本部は5日の村議会全員協議会(非公開)で表明。公共施設の一部再開などの諸条件が今後整うと説明した。放射線量によって3段階ある避難指示区域のうち、上から2番目の居住制限区域で解除方針が示されたのは同県南相馬市に続き2例目。政府は昨年6月、2017年3月までに帰還困難区域を除く避難指示区域を解除する方針を決めていた。
葛尾村の4月1日時点の人口は1470人で、対象は避難指示解除準備区域1290人と居住制限区域62人。帰還困難区域118人の解除時期は未定。松本允秀(まさひで)村長は「村も今春解除を目標にしてきた。(6月12日解除を)受け入れる。買い物や医療に不安を抱える住民が安心できる環境を整備したい」と述べた。
村が昨秋に行った意向調査で「戻りたい」と答えた世帯は48%に上り、全域避難が続く他5町村の1〜3割程度よりも割合が高い。一方、特例で宿泊を認める「準備宿泊」の登録者数は1割に満たない119人。村によると、子育て世代などが放射能の影響を懸念している。村役場は4月から約5年ぶりに全業務を再開したが、医療機関や商業施設の再開が一部にとどまる見通し。
原発事故後、政府は原発周辺11市町村に避難指示を出し、14年4月の田村市都路(みやこじ)地区を皮切りに川内村東部、楢葉町で解除。今も指示が出ているのは9市町村で、対象は約7万400人(昨年9月)。近く解除を目指す葛尾村と南相馬市、川内村、川俣町の4市町村のうち南相馬市は2月に政府から4月中の解除方針を示されたが、生活廃棄物やがれきの回収など、市側が新たな条件を示し、時期がずれ込む見通し。残る5町村のうち、第1原発が立地する大熊、双葉両町は帰還目標は未定だ。
愛着の地、再び開拓 90歳「仕事で誇りを」
葛尾村では、半数の農家が戦後に入植した開拓農家ともいわれ、強い愛着を持ち続ける人が少なくない。アンケートに答えた世帯の半数近くが戻りたい意向で、自らの手で土地を切り開いた高齢者も多い。大事な土を汚された怒りを抱えながら、開拓精神で再び立ち上がろうとする被災者もいる。
「血のにじむような思いで切り開いた土地を、捨てるわけにはいかねえんだ」。葛尾村の被災者が多く住む同県三春町の仮設住宅。「なぜ帰るんですか」。記者が問い掛けると、岩間政金(まさかね)さん(90)は淡々と答えた。
「ほかの土地じゃダメなんだ。自分で切り開いた場所がいいんだ」。 岩間政金さんは葛尾村への帰還にこだわる理由を語った =福島県三春町の仮設住宅で2016年4月4日、土江洋範撮影 |
岩間さんは、避難指示解除準備区域にある大放(おおはなち)地区の畜産農家。仮設住宅から毎日、車で約30キロ離れた村に通う。避難が解除されれば自宅に戻り、肉牛の飼育を再開させるためだ
戦後、旧満州(現中国東北部)から古里の長野県に引き揚げた。家族は土地も財産もなく、親類宅に身を寄せるしかなかった。農業しか生きるすべを知らなかった一家。1948年、土地を求めて両親とたどりついたのが葛尾だった。
入植したのは、阿武隈山系に抱かれた葛尾の中でも、特に山深い未開拓の地だった。杉や松が密集した急斜面を前に「何としても、自分の手で切り開こう」と心を決めた。大木を切り倒しては、やせた土地に大豆を植え肥やしていった。
水田ができたのは入植の3年後。「一人前の農家になれた。これで食っていける」。初めて収穫した黄金色の稲穂を手にした時、肩がふっと軽くなった。その後、肉牛の繁殖も村でいち早く成功。ピーク時の90年代には約150頭を飼い、村有数の存在になった。
原発事故が一変させた。好きな土地で好きな仕事をできないつらさ。「敗戦後の生活以上だ」。再起を誓って2015年10月、所有する約7000平方メートルの田畑の一角に牧草の種をまいた。除染で表土がはぎ取られて、牧草は生えない。肥料をまき、手入れを続けた結果、「ようやく畑も真っ青になった」。でも、心は晴れなかった。
原発事故で、水田も牛も奪い去られた。帰還後、大好きな畜産業が再開できるか分からない。牧草から基準値を超える放射性物質が検出されないか、不安が先に立つ。
村の診療所は再開の見通しが立たず、解除直後は商店も大半が戻らないようだ。でも、岩間さんは今、帰還に備え自宅の掃除や片付けを進めている。どうしても生涯を掛け築き上げた誇りを取り戻したい。仕事もなく仮設にこもるだけの日々は、過ごしたくない。
「開拓の時のように、自分の手で生きていけるようにしたい」。深くしわが刻まれた表情が引き締まった。【土江洋範】
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