土記 ろ紙は語る=青野由利
毎日新聞
ドキドキするミステリーを読んでいるようで、目が離せない研究がある。「犯人」は消えたヨウ素、「物証」となるのは大量のテープ状ろ紙。思わせぶりな言い方で申し訳ないが、事故から5年たっても決着がつかない初期被ばくの話だ。
原発事故後、人々が知るようになったのは、拡散した放射性物質にはすぐ消え去ってしまう短寿命のものと、長年居座る長寿命のものがあることだろう。ヨウ
素131は前者で8日ごとに半減していく。痕跡は早々にたどれなくなってしまったが、短寿命だからといって影響が小さいわけではない。甲状腺がんとの関係
が福島の人々を不安にしているのは、ご承知の通りだ。
本来なら事故直後にきっちり測定しておくべきだったが、全く不十分だった。そこに「高い値が出たら困る」という誰かの意図が働いたかどうか、ここでは問わない。
情報不足の中、どうすれば事故直後の実態を復元できるか。「全国の自治体による大気汚染の常時観測網がある」とひらめいた人が少なくとも2人いた。一人
が東京大大気海洋研究所に所属していた鶴田治雄さんで、自治体勤務の経験があった。大気汚染観測用のろ紙は大気中のチリを1時間ごとに連続捕集している。
放射性物質が付着していれば、いつ、どれほどの濃度で通過したか、さかのぼって分析できる。ヨウ素131は消えても、残っている放射性物質と対応がつけば
いい。2年半前、このアイデアを鶴田さんから聞いた時には初期被ばく問題に光が差した気がした。
苦労はあったようだが、異分野の科学者と組んで東北・関東を中心に数百の測定局からろ紙を集めた。自治体に保存義務はないが、幸い多くが残っていた。分
析は隕石(いんせき)や小惑星試料での経験が豊富な首都大学東京のチームが担当。ヨウ素131と比率がほぼ一定と考えられる長寿命のヨウ素129が検出で
きるとの確認までやっとたどり着いた。
今後、各地のろ紙でヨウ素129を実測すれば、消えたヨウ素131の拡散状況が復元できるはず。従来の推定より高濃度のヨウ素が通過した地域があるの
か、ないのか。「計画通りに進めば初期被ばくの状況がより正確に推定できる」と現在の研究代表者、東大の森口祐一さんがいう。
原発事故は科学者の信頼を失墜させたが、こうした地道な努力を見ると科学の醍醐味(だいごみ)と科学者の責任を感じる。ミステリーが解かれるのは2年後。5年前に逃した「犯人」の姿をぜひ見せてほしい。(専門編集委員)
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