2016/05/11

<わたしの転機> 故郷・福島出身者と避難者を支援

2016年5月11日 中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2016051102000001.html

◆安心して語り合える場を
福島県中部の下郷(しもごう)町出身で、石川県加賀市の佐藤公男さん(66)は2011年の東日本大震災直後、県内在住の福島県出身者たちと支援団体を立ち上げた。避難者たちが安心して語り合える場をつくりたい-。この思いが、県出身者たちをつなげた。原発事故で古里から離れて暮らす人たちとともに、原発のないまちづくりを考えている。

震災が起こった日、たまたま福島の実家に帰省していて、母と兄と三日間過ごしました。五分おきに余震が続き、母は真っ青な顔をして、魂が抜けたよう。翌年、八十八歳で亡くなりましたが、今でも頭に残っています。

加賀市の自宅に戻ると、福島からの避難者のために力になれることはないかと考えました。三十二歳の時に転勤で石川県に移り住み約三十年。周囲になじもうと努力していましたが、やはり料理の味付けや言葉遣いは福島の人間のまま。突然、石川に来ることになった避難者も、私と同じだと思ったんです。ちょうど、長年勤めた東京の出版取次会社を定年退職した直後でした。

必要なのは、長期にわたる避難生活に備え、相談を受け、交流できる場です。福島県人会がなく横のつながりはなかったんですが、知人のつてで、福島県出身者二人とつながりができ、震災の半月ほど後に「ふくしま311・石川結(ゆい)の会」を立ち上げました。

集いは二十回ほど開き、参加者は毎回二十人前後。初対面でも同郷のよしみで通じ合えるんですよね。会員には小学校の教員や医師らもおり、転校先になじめない子どもの相談に乗ったり、病院の紹介をしたりと、石川で生活する手助けをしています。

震災から五年。避難者の生活は落ち着いていますが、福島に原発がなければこんな苦労はしていなかった。だからこそ、石川でも原発に頼らないまちづくりを進める思いを伝える活動をしつこく続けたいです。ただ、身内が原発で働いていたりと、葛藤を抱えている人もいる。まずは被災者の話を聞き、一緒に考えていきたいです。

本に関わる仕事をしてきたので、震災の記録は後々役に立つと思って保管しています。震災直後の新聞はそのまま取ってありますし、今でも関連記事は切り抜いて読み込んでいます。

五月に会の仲間たちと、震災をテーマにした朗読劇を金沢市などで上演します。会社のつながりは減っていますが、自分が動くことで新たな結び付きができてうれしいです。
(聞き手・出口有紀)


「避難者の思いを聞き、原発に頼らないまちづくりを考えたい」
と話す佐藤公男さん=石川県加賀市で

0 件のコメント:

コメントを投稿